生島足島神社(上田市)
国指定の武田信玄ゆかりの生島足島文書で有名な生島足島神社
2009年01月02日

生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)は、生島大神、足島大神を祀る神社です。
生島大神は生みの神、足島大神は満たす神とされています。この神社は日本の中央にあるとされ、日本総鎮守とされました。
塩田北条氏、武田氏、真田氏や歴代上田藩主の崇敬を集めました。
神社境内には、池に囲まれた小島の上に、権現造の本社(昭和16年)が北面して建ち、それに正対するように摂社諏訪社本殿(上田市指定文化財)が建てられています。本殿内殿は、かつては屋外に建てられていましたが、18世紀後期から19世紀初期の時期に覆屋としての本殿が建てられ、屋内の内殿となりました。
現在の内殿の規模は、桁行(正面)柱間三間(4.82m)、梁行(側面)柱間二間(3.10m)で、屋根は切妻造の厚板張り(当初はこけら葺)です。内部は、向かって左側二間が内陣、右側一間が外陣となっています。外陣は、諏訪大神が半年間、生島・足島両神にご飯を炊いて奉ったところと伝えられ、その伝承を受け継ぐ御籠祭と呼ばれる神事が現在も行われています。内陣の周囲は大部分が板壁で内外陣境に片引き板戸の潜り戸があります。正面中央柱間には片引き戸の戸口がありますが、当初は窓であったと推定されます。また、西妻(右側面)は、現在も壁も戸もない開放状態ですが、当初は向拝の土間が本神社の御神体とされています。これは、万物を育む大地を神として崇める最も古い神社の形式を伝えるものです。主要な部材は欅材で、表面は手斧仕上げの上を丁寧に削り磨いています。外面した部材の一部には朱などで彩色した跡が残ります。軸部は、粽・礎盤・大瓶束等を用いた室町時代の様式で、その特徴から建築年代は、天文年間頃と推定されます。
摂社諏訪社本殿は慶長15(1610)年真田信之の寄進による再建です。棟札には本殿の部材を一木からすべて作ったこと、大工棟梁が宮坂勘四郎であったことなども記されている。本殿全体の形式は正面の柱間が2.8メートルの規模の一間社流造で、屋根は銅板葺(元こけら葺)です。社殿の軸部は全体に彩色を施しています。現在の塗装は昭和16(1941)年の塗り替えによるものですが、当初からこのような塗装(朱漆塗、胡粉塗など)がされていたと考えられています。
この本殿は全体の建ちが高く、軽快な感じのする点が特徴です。向拝の頭貫上部にある蟇股(表側に竜、背面に雲を彫る)、扉の上方にある蟇股(雲・麒麟)に立体的で精巧な彫刻が施されている点、脇障子の上部に熨斗結びの透し彫りを入れている点など、この時代に中央で盛んになった桃山様式を表現しています。
なお本殿手前前にある門も本殿と同時期の建築と考えられます。門は、当初は内部に床を張った諏訪系の神社にみられる「御門屋」の形式をとっていたことが痕跡から確認でき、この形式の門としては県内で一番古い。本殿・門ともに県内の桃山様式を伝える貴重な建築です。
国指定の生島足島文書の内、武田家臣団が信玄への中世を誓約した生島足島神社起請文の写しなどが境内の歌舞伎舞台に常設展示されています。
(年中無休・入場無料・開館時間8:30~17:00)
特徴としては上杉輝虎(謙信)のことを武田配下の武将は「長尾輝虎」と記していたことです。上杉姓は関東管領と言うことで家格が高いので謙信がその家を継いだことを武田信玄は面白くなかったという話がありますが、武田配下の家臣もそれに習っていたのかも知れません。
Photo Canon EOS 30D
H20.12.27
住所: 長野県上田市下之郷701
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