多賀城(多賀城市)
陸奥国の国府が置かれた多賀城
2009年08月02日
多賀城は、奈良時代に陸奥国の国府として造営され、それ以後中世まで国府が置かれました。
創建は神亀元(724)年、大野東人によるものと考えられています。
天平宝字6(762)年、藤原恵美朝狩によって大規模に修造されましたが、宝亀11(780)年 伊治呰麻呂の乱で焼失した後に、再建されました。
多賀城は延暦21(802)年鎮守府が胆沢城(岩手県)の造営によって移されてから後も陸奥国府として機能しましたが、貞観11(869)年、 陸奥国で巨大地震(貞観地震)が起こり、地震被害とともに城下は津波によって被災し、溺死者を千人ばかり出してましたが、この後、「多賀国府」として復興しました。
その後、11世紀の前九年、後三年の役では源頼義、義家の治所、文治5(1189)年の源頼朝が奥州藤原氏を討伐した際の滞在所、さらには南北朝の際の義良親王、北畠顕家の治所として、史上にその名をとどめています。
昭和41(1966)年、国の特別史跡に指定され、平成18(2006)年には日本100名城に指定されています。
発掘調査が進められ、城跡もよく整備されています。政庁のみならず、南門跡付近にある(道路に分断されていますが)多賀城碑など見所も多いです。
令和4(2022)年、 10月9日、多賀城跡城前官衙など10棟が復元整備完了し、令和5(2023)年- 南門の本体の木造復元が完了、南門の築地塀2棟の木造復元は令和6(2024)年に完成する予定です。
H21.7.24
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R6.5.4(写真差し替え)
住所: 宮城県多賀城市市川城前
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