佐沼城〔佐沼要害・鹿ヶ城〕(登米市・旧迫町)
葛西大崎一揆で木村父子が立て籠もった佐沼城
2009年08月10日
佐沼城は築城の際に守神として、鹿を生き埋めにしたことから鹿ヶ城ともいいます。
藤原秀衡の家臣・照井高直によって築城されたといわれています。
奥州藤原氏滅亡後は葛西氏の所領となりますが、戦国時代には大崎氏家臣・石川氏の居城となりました。
天正18(1590)年、豊臣秀吉の奥州仕置によって大崎氏は改易され、木村吉清の持城となりました。
葛西大崎一揆が勃発すると木村吉清・清久父子はこの城に籠城し、木村父子は伊達政宗によって救出されました。政宗が秀吉に召還された間に再び一揆軍が蜂起しましたがが、伊達軍によって鎮圧されました。一揆平定後は伊達氏の支配となり、津田景康が入城しました。その後津田氏が7代続いた後、宝暦7(1757)年亘理倫篤が入城し、幕末まで亘理氏の城でした。この亘理氏は政宗が亘理定宗に伊達氏の称号を許した際に、政宗の庶子(秀吉の愛妾香の前との間の子)である宗根を定宗の父である亘理重宗の養子としたことに始まる家系です。
現在城跡は鹿ヶ城公園となり、土塁や堀が残っています。公園の隣には登米市歴史博物館があります。
私は行くことが出来ませんでしたが、近くには葛西大崎一揆で伊達軍に撫で切りにされた将兵野獣移民2500人余を埋葬した首壇や、政宗が陣地を構えた御陣場山、政宗の乗馬を洗ったとされている馬洗いの池などがあるそうです。
Photo Canon EOS 30D
H21.7.25
住所: 宮城県登米市迫町佐沼字内町
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