三戸城〔留ヶ崎城・糠部城〕(三戸町)
南部晴政が築いた南部氏の居城・三戸城
2009年08月24日
三戸城(留ヶ崎城)は、南部晴政が築いた城です。
天文8(1539)年に晴政に謀反を企てた家臣・赤沼備中に放火され、聖寿寺館(本三戸城)が焼失したため、永禄年間(1558〜69) に晴政が留ヶ崎(とどめがさき)に新たに居城として築きました。
天正19(1591)年、南部信直は同族の九戸政実の乱を豊臣秀吉軍と共に平定すると、九戸城を福岡城と改称し居城としました。三戸城は九戸一揆平定後、奥州仕置軍を率いた蒲生氏郷らにより石垣を持った城に普請され、本丸に三層三階の御三階櫓が上げられたと考えられています。
しかし、三戸や九戸はが南部藩領内の北辺に寄りすぎていることもあり、 本拠を岩手郡不来方に移すことになりました。南部利直の時に盛岡城を居城とし、利直の子南部重直の時代に完成しました。それより三戸城は貞享年間(1684〜1687)からは代官が常駐して、城の名も三戸御古城と呼ばれるようになりました。
三戸城跡は城山公園として整備され、山上には昭和42(1967)年に「温故館」という三層四階の模擬天守が築かれました。内部は三戸町立歴史民俗資料館になっています。
城内にある糠部神社は南部光行を祀ります。
平成元(1989)年には綱御門が復元されています。模擬天守があるので近世城郭風ですが、石垣だけではなく、土塁や郭、空堀など中世の城の雰囲気も残しています。
残念ながら訪れたのが月曜日で資料館は見ることができませんでした。
(三戸町立歴史民俗資料館)
開館時間 9:00〜16:00
休館日 月曜日、祝日の翌日、停電日
12月1日から翌年3月末日まで
入館料 大人200円 大学生150円 高校生100円 小中学生50円
Photo Canon EOS 30D
H21.7.27
住所: 青森県三戸郡三戸町大字梅内字城ノ下34-29
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