摺上原古戦場・三忠碑(猪苗代町)
天正17(1589)年旧暦6月5日、伊達政宗は宿願の葦名の所領会津を攻略すべく摺上原に軍を進めました。
この地の戦いに葦名義広の家臣金上盛備・佐瀬種常・その子平八郎常雄の三士は主君の危急を救いました。しかし、三人共々戦いの果てに討死しました。
三忠碑は、その忠誠のさまを後世に伝えるため、会津藩主松平容敬公が建立したものであり、全文437文字を唐の書家、顔真卿の書体を集めて刻まれた日本でも珍しい碑文です。
周辺は二本松街道が通っています。近世における楊枝峠経由の若松城下と本宮宿との間の街道を、二本松領内では会津街道、会津領内では二本松街道といいました。
本宮宿から苗代田・横川・中山の各宿を通り両藩界の楊枝峠を越えて楊枝から壺下番所に出、関脇・都沢・西館・東谷地を経て猪苗代城下に入ります。名古屋町・本町・新町・中町・土町を通って大寺に通ずる道に出ます。ここから松林に入りますが、雑木雑草に覆われていて面影はありません。大寺を出て日橋川を渡り八田野を経て、郷ノ原の西を通り滝沢町に出ます。これが、旧二本松街道です。
主要道として賑わっていた旧街道に代わって明治25(1892)年新県道が開通したことにより、旧街道は衰退の一途をたどり、旧街道の道形や松並木の様子は殆ど認められませんが、この付近の松並木は街道跡として良好な状態で残っており、当時の面影がうかがえる貴重な場所です。
(現地説明板より)
H11.9.9
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H26.5.3(写真差し替え)
住所: 福島県耶麻郡猪苗代町長田
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