利神城(佐用町)
壮大な山城・利神(りかん)城
2005年11月20日
利神城は、平福の宿場町を見下ろすような場所にあります。
貞和5年/正平4(1349)年別所敦範が築城したと伝えられています。
別所光則の代の嘉吉元(1441)年に「嘉吉の乱」が起こり、 一時敗退しましたが応仁の乱に際し、別所静治は風雲に乗じ、都の赤松家再興を図った功績により、旧領利神城主に復帰することができました。
天正6(1578)年1月2日、秀吉の中国攻めにからみ、上月城にあった山中鹿介に攻められ落城しました。
その後、慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの功により、池田輝政が姫路城に入り、 甥の家老池田由之に佐用郡2万3300石を与えました。由之は利神山山頂の砦を打ち壊し、 約5年の歳月をかけ巨大な城郭群と麓に常御殿と呼ばれる居館と武家屋敷を構えました。 標高373mの利神山の山頂に3層の天守丸を配した連郭式山城は、東西300m、南北500mにも及ぶ総石垣造りの広大な山城で、 別名を雲突城とも呼ばれました。
しかし、池田輝政がここに来たとき、あまりの立派さに驚き、即刻破却を命じたそうです。その後池田輝興の転封によって完全に廃城になりました。
石垣の崩落が激しい城です。何らかの保全策が早急に望まれます。
しかし、素晴らしい景色です。石垣が修復されれば、竹田城に匹敵するかも。雲海も出るそうですし。
ただし、現在の状況では、登城も自己責任で。
H16.7.18
Photo SONY NEX-7
H25.12.14(写真差し替え)
住所: 兵庫県佐用郡佐用町平福
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