堀家住宅・賀名生皇居跡(五條市・旧西吉野村)
南朝三帝の行宮となった堀家住宅
2010年03月15日
堀家住宅・賀名生皇居跡は南北朝時代に南朝三帝の行宮となったところです。かつては賀名生は穴太、叶名生ともいいました。
足利尊氏に追われた後醍醐天皇が、延元元・建武3(1336)年にた郷士堀孫太郎信増の邸宅に滞在しました。
正平2・貞和3(1347)年、楠木正行の戦死後、後村上天皇は吉野を引き払い穴太に移りました。その際、穴太を南朝による統一を願い叶名生と改めました。
正平6・観応2(1351)年、正平一統により足利尊氏が一時的に南朝に降伏し、叶名生は賀名生に改められました。
正平7・観応3(1352)年、再び戦乱に戻ると、南朝は京都を回復することができずに賀名生に戻り、北朝方の皇族(光厳上皇、崇光上皇、直仁親王)を拉致し、さらに北朝の三種の神器を押収しました。
その後皇居は河内天野山金剛寺、観心寺、摂津住吉などを転々としましたが、長慶天皇の文中2・応安6(1373)年から後亀山天皇が元中9・明徳3(1392)年に京都に戻り南北朝が統一されるまで賀名生は南朝の皇居でした。
現在の邸宅は、長慶、後亀山天皇の皇居と伝えられています。今なお当時の面影をとどめる屋敷は、全国でも最古に属する民家で重要文化財に指定されています。
令和元(2019)年4月、カフェレストラン&ホテル「KANAU」に生まれ変わっています。
KANAUの名は、堀家住宅を後村上、長慶、後亀山天皇の皇居としてお使いいただいた当時のこの地の呼び名「かなふ」を意味しています。
営業時間 営業時間 11:00〜16:00(L.O 15:30)
※夜は予約客のみ
定休日 月曜日
冬季定休日(1月・2月)月・火定休
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H22.3.10
住所: 五條市西吉野町和田48
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