宮本武蔵初決闘の地(佐用町)
宮本武蔵が初めて決闘した場所・宮本武蔵初決闘の地
2005年12月09日
宮本武蔵初決闘の地は、平福にあり宮本武蔵が初めて決闘を挑んだ所と伝えられています。
天正12(1584)年、母、於政と死別し、その後父の無二斎が、利神城主別所林治の娘よし子を後妻に迎えたので、武蔵はこの義母に育てられました。
武蔵7歳の時、父が死去し、義母は武蔵を残し平福に帰り、田住政久の後妻となりました。武蔵は義母の後を追い、その叔父正蓮庵の道林坊にあずけられ、薫陶を受け、道林坊の弟、長九郎に武芸を学びました。
武蔵13歳の時、「何人なりとも望みしだい手合わせいたすべし。われこそ日下無双兵法者なり」という新当流の達人有馬喜兵衛の高札を見て決闘を決意し、ここ金倉橋のたもとで初勝負をいどみ、一刀のもとに倒したといわれています。
同地には金倉の六地蔵があります。
ここ金倉橋の一帯は、平福町並みの南端に位置し松原とよばれており、江戸時代、平福藩刑場跡として伝えられていることから、この六地蔵は、その供養のために建てられたと考えることもできます。
この路傍に立つ六地蔵は、所々欠けてはいるが、気品のある美しさを漂わせる丸彫りの立像別石地蔵です。同所に元禄9(1696)年に建てられた南無阿弥陀仏の念仏碑があることから、同時期のものと想像されます。(現地説明板より)
H16.7.18
Photo SONY NEX-7
H25.12.14(写真差し替え)
住所: 兵庫県佐用郡佐用町宗行38-1
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