大和神社(天理市)
大和神社(おおやまとじんじゃ)
2005年12月26日
大和神社(おおやまとじんじゃ)は、崇神天皇の時に創建されたと伝えられている古式ゆかしい神社です。
中殿に日本大国魂大神、左殿に八千戈大神、右殿に御年大神を祀ります。
「日本書紀」によれば、宮中に奉斎されていた天照大神・大和大国魂神を第十代崇神天皇の御代、同殿共床の神威を畏み、天照大神を皇女豊鍬入姫命に勅して倭の笠縫の邑に、大和大国魂神を皇女渟名城入姫命に勅して、大市の長岡岬に奉遷したのが創祀とされています。後に現在地に遷座したとされるが、遷座の時期は不明です。
朱鳥6(692)年、持統天皇は藤原京の造営にあたって、伊勢・住吉・紀伊の神とともに当社に奉幣し伺いを立てています。寛平9(897)年には最高位である正一位の神階が授けられました。『延喜式神名帳』には「大和国山辺郡 大和坐大国魂神社 三座」と記載され、名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の幣帛に預ると記されています。後に十六社に、白河天皇の時代には二十二社の一社ともなりました。
平安時代初期までには諸国に神封327戸という天照大神を祀る伊勢神宮に次ぐ広大な社領を得、朝廷の崇敬を受けて隆盛しました。しかし、平安京への遷都や藤原氏の隆盛、永久6(1118)年の火災などにより衰微していき、天正11(1583)年の火災によって神領の書類をすべて焼失した。こうして中世には社領を全て失ってしまいました。
明治4(1871)年、官幣大社に列せられましたが、江戸時代に社殿が寺院様のものに作り変えられていたので、官幣大社列格の際に新たに社殿が造営されました。
大和国が艦名の由来となっている日本海軍の戦艦「大和」は、守護神として艦上で大和神社の分霊を祀っていました。戦艦大和は昭和20(1945)年4月7日に坊ノ岬沖海戦によって沖縄沖で沈没しましたが、その時に戦死した第二艦隊司令長官伊藤整一中将以下2717名が末社・祖霊社に合祀されています。昭和44(1969)年、境内に「戦艦大和記念塔」が建立されました。更に昭和47(1972)年9月24日、軽巡洋艦矢矧と駆逐艦8隻の戦没者も合祀し、坊の岬沖海戦の全戦死者3721柱が国家鎭護の神として祀られています。
H16.1.11
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.1.8(写真差し替え)
住所: 奈良県天理市新泉町星山306
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