槍倒し松(岩国市)
岩国武士の負けず嫌いを表徴する史跡・槍倒し松
2005年12月26日
槍倒し松(やりこかしまつ)は、岩国武士の負けず嫌いを表徴しています。
昔諸国の大名が他藩の城下を通るときは行列の槍を倒すのが礼儀となっていたのですが、大藩が小藩の城下を通るときは、礼儀を守らず槍を立てたまま威風堂々と通ったものです。岩国藩が六万石の小藩であるため、岩国の武士達はこれを見て憤慨し、そこでかなり成長した横枝のはった松の木をわざと橋の頭に植え、大藩といえども、どうしても槍を倒さなければ通ることが出来ないようにしたものです。
今では昭和10(1935)年の河川改修工事により道路や人家が堤防の上に移りましたが元は河辺りにあって、ここの石段が坂道になっていましたから大名が槍を倒して坂を登るのを見て岩国武士達は溜飲を下げていたということです。
昭和19(1944)年頃、この地方に発生した松喰虫によって、この松も昭和27(1952)年8月に残念ながら枯れてしまいました。
この松は初代の松の実から自生した直系の松を昭和43(1968)年2月15日、3代目槍倒し松として吉香公園から移したものです。
(現地説明板より)
槍倒し松は、岩国藩吉川氏の特殊な立場を示す史跡です。
岩国藩は関ヶ原の時吉川広家の行動が、本藩の萩毛利家から「逆恨み」されており、石高は大名格ながら、諸侯の格式は与えられませんでした。
H15.9.11
H25.12.26
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R5.12.28 (写真差し替え)
住所: 岩国市横山
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