大田金麗社(美祢市・旧美東町)
大田・絵堂古戦場史跡・大田金麗社
2006年01月01日
大田・絵堂の戦いは幕末、功山寺で決起した高杉晋作の奇兵隊が、俗論党で固められた萩の政府軍と戦い、勝利した、明治維新を語る上で欠かせない戦いです。
この大田金麗社は、奇兵隊はじめ諸隊が陣地を構えたところです。
金麗社は、管相公、菅烝相、吉祥女を祀る神社で、境内数百年の老杉、古松がうっそうと繁り、春は桜、夏は蛍の名所として知られています。また慶応元(1865)年、大田絵堂の戦いの際、高杉晋作の輩下の正義派諸隊が本陣をこの順神社に置き、高杉晋作・山形有朋・伊藤博文らが作戦会議をし奇兵隊の軍鑑山県狂介(後の山県有朋)以下が、髪を切って戦勝を祈りました。
境内には後の第二次長州征伐の折、小倉城から戦利品として奇兵隊が得た灯篭一対があります。
慶応2(1866)年6月幕府は進歩的な長州藩を倒すため、第二次長州征伐(四境の役)を行いましたが、この時奇兵隊は関門口を守備し、高杉晋作指揮のもとに小倉城を落しました。
この燈籠は、小倉延明寺から分捕ったもので、奇兵隊が大田・絵堂戦争勝利の記念として金麗社に奉献したものです。燈籠の年号に元治4年の銘がありますが、この年は慶応3(1867)年に当り、時の幕府徳川慶喜の「慶応」に応じないという、長州藩隊士の心意気がうかがえます。
その他大田絵堂の戦いにおける雨宮慎太郎ほか諸隊の勇士16士を顕彰する殉難十七士の碑や、大田・絵堂の戦いの概要を刻んだ大田屯碑など多くの石碑があります。
(現地説明板より)
司馬遼太郎の小説で吉田松陰と高杉晋作を描いた「世に棲む日日」で司馬さんが、絵堂の方に行こうとタクシーを走らせたところ、タクシー運転手は秋吉台を勧め、「絵堂、そんなところ何もありはしませんよ」といったとか。ちなみに絵堂は国道490号をもう少し北上したところにあります。
H15.9.13
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H25.12.27(写真差し替え)
住所: 山口県美祢市美東町大田上新町
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