山の辺の道・大神神社〔三輪明神〕(桜井市)
大神神社はおおみわじんじゃと読みます
2006年01月02日

大神神社(おおみわじんじゃ)は、大物主大神(倭大物主櫛甕玉命)を主祭神とし大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)を配祀する神社で三輪山を大物主神の鎮まるお山として祭った神社です。
大和国一の宮、地元では三輪明神という名で知られています。
「古事記」によれば、大物主大神が出雲の大国主神の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとあります。
また、「日本書記」でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂として顕現され、三輪山に鎮まられたということです。
神階は貞観元(859)年に最高位の正一位となりました。延喜式の社格は官幣大社で、のちに大和国一之宮となり、二十二社の一社にも列なるなど最高の待遇に預かりました。
中世には神宮寺であった大御輪寺や平等寺を中心に三輪流神道が広まり、 広く全国に普及し人々に強い影響を及ぼしました。近世に入ると幕府により社領が安堵あんどされて三輪山は格別の保護を受け、明治時代にはその由緒によって官幣大社となりました。
大神神社拝殿の奥は禁足地として普段は神職さえ足を踏み入れない神聖な場所で、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居と瑞垣が設けられています。三ツ鳥居の起源は不詳で、古文書にも「古来一社の神秘なり」と記され、本殿にかわるものとして神聖視されてきました。この鳥居は明神型の鳥居を横一列に三つ組み合わせた独特の形式で「三輪鳥居」とも呼ばれています。中央の鳥居には御扉があり、三輪山を本殿とすれば、三ツ鳥居は本殿の御扉の役割を果たしていると言えます。
拝殿は鎌倉時代に創建されたことが文献に見え、現在の拝殿は寛文4(1664)年徳川四代将軍家綱公によって再建されたものです。白木造りの質実剛健な建物は横が約17m(桁行九間)、縦が約8m(梁行四間)の切妻造で、正面には唐破風の大きな向拝がつき、屋根は檜皮で葺かれています。拝殿は江戸時代の豪壮な社殿建築として、三ツ鳥居と共に国の重要文化財に指定されています。
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H15.6.6
住所: 奈良県桜井市大字三輪1422
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