美濃国分寺跡(大垣市)
歴史公園として整備された美濃国分寺跡
2010年10月18日
美濃国分寺は美濃国府や不破関に近い、青野原の景勝地に建立されました。
背後に青野山を控え、南は東山道に面して建立された国分寺は、わずかに塔跡を残すのみで埋もれていましたが、昭和43(1968)年度からの継続的な発掘調査によって、伽藍の全容が次第に明らかとなりました。
伽藍の範囲は、東西231m・南北250m以上で、周囲を築地大垣をめぐらせていました。
仁和3(887)年、火災によって全てが焼失し、一時、席田郡(むしろだぐん)の定額尼寺にその機能を移しましたが、その後、この地に再建されたようです。
しかし、12世紀末頃までには国分寺としての機能を失い、山麓に所在する現在の美濃国分寺は、元和元(1615)年に再建されたものです。
大正10(1921)年、美濃国分寺跡(塔跡と金堂周辺)は国指定史跡になりました。
昭和46(1971)年には伽藍域の大部分と瓦窯跡が追加指定され、昭和49(1974)年度からは発掘調査により伽藍状況を明らかにするとともに発見された建物基壇を中心にその構造をできるだけ地上に復元して史跡整備を行いました。
平成19(2007)年には都市公園法にもとづく歴史公園に指定されました。
ちなみに美濃国分尼寺跡は、西南西約1kmの垂井町平尾にありました。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H22.10.10
住所: 岐阜県大垣市青野町
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