法起寺(斑鳩町)
法隆寺と共に世界遺産に登録されている法起寺
2010年11月10日
法起寺(ほうきじ、ほっきじ)は、岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺と呼ばれている聖徳宗の寺院です。山号は岡本山です。
推古14(606)年に聖徳太子が法華経を講説されたという岡本宮を寺に改めたものと伝えられ、法隆寺、四天王寺、中宮寺などと共に、太子御建立七ヵ寺の一つにかぞえられています。
推古30(622)年2月22日、聖徳太子はその薨去に臨み、長子の山背大兄王に岡本宮を改めて寺とすることを遺命しました。
その後、舒明10(683)年に福亮僧正が聖徳太子のために、弥勒像一躯と金堂を造立し、天武14(685)年には恵施僧正が宝塔の構立を発願し、慶雲3(706)年3月に塔の露盤を作ったとしています。
奈良時代には相当栄えていたようですが、平安時代から法隆寺の指揮下に入り、寺運も徐々に衰微しました。
鎌倉時代には講堂や三重塔が修復されてますが、室町時代に再び衰え、江戸時代のはじめごろには三重塔を残すのみであったといわれています。
その荒廃を憂い、当寺の再興を発願した寺僧の真政圓忍(しんせいえんにん)とその弟子たちは、 延宝6(1678)年に三重塔を修復しました。それ以降も、寺僧たちの努力によって浄財を集め、元禄7(1694)年に講堂を再建、文久3(1863)年に聖天堂を建立し、現在の寺観が整えられました。
明治維新後は、本寺法隆寺と共に真言宗の所轄となりましたが、明治15(1882)年、法隆寺が興福 寺と共に法相宗に独立したのにともない、法相宗の小本山となりました。
しかし、昭和25(1950)年、法隆寺が聖徳宗を開宗したため、当寺も聖徳宗の本山の一つになっています。
昭和47(1972)年には三重塔の解体修理に着手し、昭和50(1975)年に完成したのに続いて、昭和53(1978)年には講堂の修理を行い、昭和57(1982)年には重要文化財の十一面観音菩薩像を安置する収蔵庫を新設しています。
平成5(1993)年、法隆寺と共に世界遺産に登録されています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H22.11.3
住所: 奈良県生駒郡斑鳩町岡本1873
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