中宮寺跡(斑鳩町)
現在の中宮寺の約500m東方にある中宮寺跡
2010年11月10日

中宮寺跡は、現在法隆寺東院の隣にある中宮寺が、創建当初建てられたところです。
現在の中宮寺の約500m東方にあり、土壇が残っています。
昭和38(1963)年、発掘調査が初めて行われ、塔と金堂について多くの知見を得ることができました。
昭和47(1972)年から昭和62(1987)年にかけて5次にわたって発掘調査が行われ、寺院伽藍や寺域が徐々に明らかになりました。
塔跡にはついては、基壇上面の側柱礎石が抜き取られるなど保存状態は良くありませんでしたが、基壇の規模は一辺約13.5mで、塔自体は一辺約6.8mと推定されています。
基壇中央には約2.5m地下に、花崗岩の塔心礎が遺存し、そうの上面からは金環、金糸、金延板小片、玉類等の埋納物が発見されました。
金堂跡については、部分的な調査でしたが、基壇を二度造りなおしたことが明らかになりました。
創建当初は、凝灰岩製切石による壇正積基壇と推定され、これを平安時代に縮小し瓦積基壇とし、鎌倉時代に花崗岩の割石による乱石積基壇に修造しています。
鎌倉時代の基壇規模は、東西約17.3m・南北約14.1mで創建時もほぼ同規模であったと思われます、現存礎石や礎石抜き取り穴から桁間5間・梁行4間の建物が推定されています。
講堂、中門、回廊などの存在は明確になっていませんが、講堂は創建当初は計画されたものの、造営されなかった可能性が高く、中門は、溜池開削によって破壊されたと考えられます。
寺域については、西面と北面の築地塀跡(基底幅約2.1m)を検出していて、築地塀外観には幅約2.4mの外濠がめぐり、築地塀内側にも内濠がめぐります。
このことから、寺域は東西128m、南北165mと推定されます。
北門や南門の一部や西面築地に並行する南北の古道を検出しています。
出土遺物としては、創建瓦の単弁蓮華文軒丸瓦をはじめ、飛鳥時代から室町時代の瓦があります。
このことは、伝えられている寺院の消長と一致します。
中宮寺は聖徳太子が、母穴穂部間人皇后の宮室を寺院にしたと伝わり、聖徳太子創建七ヶ寺のひとつ「中宮尼寺」に比定されていますが、諸説があり定かでありません。
飛鳥時代創建の法隆寺若草伽藍とはほぼ同時期に建立されたことは確かで、上宮王家との深い結びつきがある寺院です。
(斑鳩町 斑鳩町教育委員会説明板より)
Photo Canon PowerShot S95
H22.11.3
住所: 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺東1
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