神辺城(福山市・旧神辺町)
戦国時代の備後の中心の城であった神辺城
2006年01月15日
神辺城は「道上ノ城」とも呼ばれ、元弘の乱(南北朝争乱)で戦功をあげた朝山景連が備後国守護職に任じられ、建武2(1335)年に築城したと伝えられています。以来神辺城は備後国の守護職の居城として使われ、仁木義長・細川頼春・高師康・上杉顕能・渋川義兼・山名時義が守護となり一時期を除いて山名氏の備後支配がつづきそれぞれ守護代が居城しています。
戦国時代には杉原理興・平賀隆宗・杉原盛重・藤井皓玄が城主となり、最終的には毛利氏の支城となり安土桃山時代には末次(毛利)元康が城主となりました。
江戸時代には毛利氏が減封されたため、福島正則の支城となり福島丹波守正澄が城主となりました。福島正則は元和5(1619)年に改易され、水野勝成が入封しましたが、西国の外様大名を監視するために配置された譜代大名であったため、その役割を担う城としては神辺城は規模が小さく不便であるとして福山城を築き居城としたため神辺城は廃城となりました。福山城の築城の際には神辺城の櫓や門などが取り壊され移築されたといわれてます。
城跡には「福山市神辺歴史民俗資料館」があります。(入場無料)
眺望がよく、神辺の市街地がよく見渡せます。
山陽自動車道「福山東I.C.」より車で15分
H14.4.28
Photo Canon EOS 30D
H20.11.2(写真差し替え)
住所: 広島県福山市神辺町大字川北6番地1
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