福山城(福山市)
水野勝成が元和の一国一城令の後に築城した福山城
2006年01月15日
福山城は、元和5(1619)年、改易された福島正則の後に備後に封ぜられた水野勝成は神辺城、瀬戸内の海路の押さえ鞆城を廃し、両城の機能を併せ持った新城を築城し、福山城と名付けました。久松城(ひさまつじょう)、葦陽城(いようじょう)ともいいます。
元禄11(1698)年、水野勝岑が幼くして死去し除封され、その後には、松平(奥平)忠雅が出羽山形より入封しましたが、宝永7(1710)年には伊勢桑名へ転封となり、下野宇都宮より阿部正邦が10万石で入封し、幕末まで阿部氏が城主でした。幕末の老中阿部正弘が城主であったことは有名です。
昭和20(1945)年、福山大空襲により天守、御湯殿、涼櫓などが焼失しました。現在の天守閣は月見櫓、御湯殿、多聞櫓と共に福山市市制50周年記念の事業として昭和41(1966)年に再建されたもので、内部は博物館になっています。
現存する伏見櫓は、京の伏見城廃城の際に移築されたもので貴重な建物です。
平成18(2006)年、日本100名城に指定されました。
昭和41(1966)年に再建された天守を含めた大規模改修「令和の大普請」が令和2(2020)年から行われました。
福山城は、初代藩主の水野勝成が元和8(1622)年8月28日に幕府へ完成を報告したとされ、令和3(2021)年12月に「築城記念日」とし、築城を祝うことにしました。築城400年となる令和4(2022)年8月28日に令和の大普請の完成イベントが開催されました。焼失前の天守は、北側に堀がなく、防御力を高めるために北面に鉄板を張ったといわれていますが、令和の大普請により、天守北側には、全国の城郭で唯一あったとされる「鉄板張り」が復元されています。
福山城博物館
開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜日 (祝日の場合は翌日)年末(12月28日~12月31日)
入館料 一般 500円 高校生以下無料
(特別展は別料金)
H14.4.28
H20.11.2
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.9.3(写真差し替え)
住所: 広島県福山市丸之内一丁目8番
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