常栄寺跡・毛利隆元墓所(安芸高田市・旧吉田町)
毛利隆元の菩提寺跡で、毛利隆元墓所が残る常栄寺跡
2011年04月23日
常栄寺は、毛利隆元の菩提寺です。
現在は山口にありますが、隆元の墓所は残っています。
毛利隆元は、毛利元就の長男として大永3(1523)年多治比猿掛城内で生まれました。幼名を少輔太郎といい、天文6(1537)年人質として山口の大内氏に送られ、その年の元服には大内義隆の加冠で隆元と称しました。
以後天文10(1541)年19歳で帰還するまで大内氏の優遇を受けました。天文15(1546)年24歳で家督を相続しました。三年後には内藤興盛の娘(義隆の養女)を夫人とし、天文22(1553)年に長男幸鶴丸(後の輝元)が誕生しました。
永禄年間は、九州の大友氏と交戦していましたが、講和が成立するやいなや、尼子氏攻略のため、元就がいる出雲に応援のため多治比猿に一時帰還し、郡山城には入らず、出雲に出発し、途中安芸佐々部(安芸高田市高宮町)で和智誠春の饗応を受けましたがまもなく発病、翌朝未明に41歳、永禄6(1563)年急逝しました。
没後元就は、隆元の尊師山口の国清寺の僧、竺雲恵心を招き、開山としました。
寺は翌永禄7(1564)年扶桑十刹に列し、勅願道場とせられ、正親町天皇の「常栄広刹禅師」の勅額を受けました。
天正19(1591)年の分限帳によると千四百八十石五斗余を領しています。
寺跡は、二段の曲輪からなり、上の段は60m×25m、下の段は40m×10mでかなりの広さを持っていますが、建物の配置は明らかではありません。
毛利氏の防長移封後、山口に移転し、現在の常栄寺は雪舟庭としても知られています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.3.18
住所: 広島県安芸高田市吉田町吉田
関連リンク
タグ
地図
関連情報