本圀寺(京都市山科区)
本圀寺は、京都に二つある日蓮宗の大本山の一つ (もう一つは、妙顕寺)で、山号は大光山です。
建長5(1253)年、日蓮聖人は、鎌倉幕府のあった鎌倉の松葉ヶ谷に草庵・法華堂を創建したのが起源といわれています。
そして、伊豆法難後の弘長3(1263)年、大光山本国土妙寺として創設されました。
貞和元(1345)年、足利尊氏は光厳天皇に懇願し勅を賜って本勝寺を京都・堀川六条に移し本国寺としました。
応永5(1398)年、後小松天皇より勅願寺の綸旨を得ました。
天文5(1536)年に比叡山の僧徒の焼き討ち(天文法華の乱)にあい荒廃したため、一時、和泉国堺の成就寺に避難しました。
天文16(1547)、六条堀川に再建されました。永禄11(1568)年には足利義昭の仮居所(六条御所)となり、翌永禄12(1569)年には本国寺の変で足利義昭は三好三人衆に襲撃されましたが、織田方の救援を得て撃退しました。
徳川光圀は生母の追善供養をこの寺にて追善供養を行いました。貞享2(1685)年、光圀の一字をを下され、本圀寺と改めました。しかし、天明8年(1788)、天明の大火で経堂以外は全焼してしまいます。
後衰退しますが、昭和46(1971)年に現在地の山科へ移転しました。
境内にある開運門は、別名赤門といい文禄元(1592)年に加藤清正が寄進し、平成8(1996)年に修復されたものです。
また、加藤清正の廟の清正宮は、加藤清正の女(瑶林院)が建立したといわれています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.4.9
住所: 京都府京都市山科区御陵大岩6
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