小倉山城(美濃市)
小倉山城は、慶長6(1601)年、金森長近の築城した城です。
関ヶ原の戦いの功により佐藤氏の旧領地を加封され上有知(美濃市)の地を与えられた長近はそれまでの鉈尾山(現在の古城山)にあった城を廃し、尾崎丸山の地に小倉山城を築いて隠居城としました。封龍を愛し、茶を嗜んだ長近は、山名を小倉山に改めると共に、城名を小倉山城と築き、山麓一帯に新しい上有知の町を造りました。
小倉山は、京都嵯峨野にある四季の風光の美しい名勝地であり、鎌倉時代に歌聖と云われた藤原定家が有名な小倉百人一首を選びましたが、「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば いまひとたびの みゆきまたなむ」の一首がうたわれています。こうした文雅の地にちなんで、小倉山と改名した長近は武辺一筋の武将でなかったことがうかがわれます。
現在の小倉公園の上の広場が本丸、下の広場が二の丸、図書館のある所が三の丸であったと考えられています。
慶長13(1608)年、長近の死後、飛騨の領地は養子金森可重が継ぎ、上有知・関・河内国金田2万3,000石を金森長光が継ぎました。
しかし、長光は慶長16(1611)年に幼死したために断絶し城は破却され、領地は上知されましたが、後に尾張藩領となりました。その後天明2(1782)年、城跡に上有知代官所が置かれました。
小倉山の山頂には、天守閣風の三階建ての展望台が建てられています。
(現地説明板などより)
H23.4.16
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R3.11.13(写真差し替え)
住所: 岐阜県美濃市泉町
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