修善寺温泉発祥の寺・平安初期に弘法大師が建立した修禅寺
2006年02月01日
修禅寺は、大同2(807)年に空海が創建したと伝えられ、当初は真言宗の寺院でした。当時は地名が桂谷と呼ばれていたところから「桂谷山寺」と言われ、伊豆国禅院一千束と正史に記されたほどの格式の高い寺でした。当時はこの地一帯に密教形式の堂宇が建ち並び、東国真言宗の拠点ともなったようです。
この時期の末期の建久4(1193)年に源頼朝の弟の源範頼が、元久元(1204)年には頼朝の子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が当寺に幽閉され、その後この地で殺害されたことで知られています。本尊の大日如来像(重文)は、その母北条政子が頼家公の菩提のため、七回忌にあたる承元4(1210)年に実慶に造らせたことが、解体修理の結果分かりました。
寛元4(1246)年、僧から渡来した蘭渓道隆が一時止住したのが縁で、宋の皇帝から勅額が下り桂谷の風致が支那の廬山に似ていることから「肖廬山」と号し臨済宗として栄えました。
南北朝時代の康安元・正平16(1361)年に畠山国清と足利基氏との戦禍を受け、応永9(14020)年には火災を蒙り、伽藍を全焼して寺は荒廃し衰退した。その後、延徳元(1489)年に至り、韮山城主の北条早雲が再興し、叔父の降溪繁紹禅師が住して曹洞宗に改宗され山号も「福地山」と改められ今日に至っています。
現在の本堂は、文久3(1863)年に火災で焼失した旧本堂に替わり明治20(1887)年に再建されたもので、平成19(2007)年に修禅寺開創1200年記念事業として平成の大修復が行われています。
小松宮彰仁親王の別邸を明治38(1905)年に方丈や書院としたのを機に、明治40(1907)年、
達磨山麓から水路を引き、大小の岩を積み、滝や池を造り裏山を借景とした池泉回遊式庭園として造営されました。建物は老朽化し、昭和の終わりに建て替えられましたが、当時皇太子だった大正天皇が、「東海第一の庭園である。」と絶賛された「東海第一園」のまま残っています。
なお、町の名前は「修善寺」ですが、寺の名前は「修禅寺」です。
宝物館
拝観時間 8:30~16:30(4月~9月)
8:30~16:00(10月〜3月)
拝観料 300円
H13.9.7
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H28.3.4(写真差し替え)
住所: 静岡県伊豆市修善寺964