稲田寺(下田市)
川路聖謨の宿舎として使われた稲田寺(とうでんじ)
2006年02月05日
稲田寺は、山号は敷根山、浄土宗の寺院です。
文正元(1466)年法蓮社 本誉の創立です。
山門を入って右側の阿弥陀堂に平安時代後期の阿弥陀如来坐像(下田市指定文化財)が安置されています。大浦にあった稲田寺末庵の西向院から移された客仏です。檜材の寄木造りで、像高は208cmの南伊豆には例をみない大像です。近世の補修もみられますが、丸顔の穏やかな面相やゆるやかな肉どりは定朝様式の典型的な作風を示しています。後世の作と思われる観音・勢至菩薩を両脇に従え、三尊形式をつくっています。
幕末開港時には、ロシア使節プチャーチンとの交渉に当たった応接掛川路聖謨の宿舎となり、その後下田奉行伊沢美作守が宿舎とし、嘉永7・安政元(1854)年の安政の東海地震・津浪後には、稲田寺は仮奉行所ともなりました。なお、山門を入って左側には、安政の東海地震後の大津浪で犠牲となった人達を供養する津なみ塚が建立されています。
また、お吉の夫となった川井又五郎(幼名鶴松)の墓もみられます。納骨瓶には、俗名大工川井又五郎明治9年6月6日没、と記されています。(鶴松は幼名)
許婚のお吉を領事ハリスの侍妾として差し出され、仲をさかれた鶴松は哀れな一生でした。ハリスと別れた後のお吉と4年同棲したが故あって離婚し、その翌年死亡しています。
お吉は鶴松の大好きだった山桃を墓前に供え、泣きながら冥福を祈ったといわれています。
(現地説明板などより)
H13.9.8
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H28.3.5(写真差し替え)
住所: 静岡県下田市一丁目14−5
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