野間大坊〔大御堂寺〕(美浜町)
源義朝、織田信孝らの墓がある野間大坊〔大御堂寺〕
2012年04月15日
野間大坊は、正式には鶴林山無量寿院大御堂寺という真言宗の寺院です。
天武天皇の時代に役行者が草創し、聖武天皇の時代に行基が再び開基し弥陀三尊を安置し、阿弥陀寺と称えたのが始まりといわれています。
承暦年間、白河天皇の時代に勅願寺となり大御堂寺と命名されました。
平治元(1159)年、平治の乱に敗れて東海道を下ってきた源義朝は、随行していた鎌田政清の舅長田忠致の許に身を寄せましたが、忠致・景致父子は平家からの恩賞目当てに湯殿(法山寺)で入浴中の義朝を欺し討ちました。
平康頼は、尾張守として任地にあった時、野間庄にある義朝の墓が、守る人もなく草が生い茂って荒れ果てていたので、小堂を建て、田三十町を寄進し、僧6名を置いて供養に当たらせました。
建久元(1190)年、源頼朝がこの地で殺された父義朝の菩提を弔うため、開運延命地蔵等を奉安し、伽藍を整備しました。
天正11(1583)年、羽柴秀吉に敗れた織田信長の三男織田信孝は、「昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」の辞世の句を残しこの地で自害させられました。
境内には、源頼朝が建立したといわれる大門、源義朝の首を洗ったといわれている血池、源義朝の墓、この地で自害した織田信孝(信長の三男)の墓があります。
源義朝の墓の石塔の周りには無数の木刀が供えられています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H24.3.24
住所: 愛知県知多郡美浜町野間東畠ケ50番
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