坂部城〔阿久比城〕(阿久比町)
久松松平氏発祥の城・坂部城〔阿久比城〕
2012年04月20日
坂部城は、久松定益が築城したと言われる平城で、当時は阿古屋城、阿久居城とも呼ばれたと言われています。
「尾張誌」には、「坂部村には、其跡東西40間(約73m)、南北50間(約90m)、英比(あぐい)の城ともいう。久松佐渡守菅原俊勝の居城なり」と記されています。
徳川家康の於大の方は、天文16(1547)年、坂部城主の久松俊勝のもとに再嫁し、俊勝が岡崎城代として移るまでの15年間在城しました。
その間、熱田や駿府で人質の身であった家康に、励ましの手紙や衣類を贈り続け、後に徳川家康の運命や人間形成に大きな影響を与えたと言われています。
桶狭間の戦いを控えた永禄3(1560)年5月17日、於大の方と家康(当時、松平元康)は、この地で母子16年ぶりの感激の再会を果しました。
天正5(1577)年佐久間信盛におとしいれられ、城主の久松信俊(俊勝の長男)は大阪四天王寺にて切腹させられました。坂部城は信盛の手勢によって攻められ、落城炎上したと伝えられています。
(説明看板などより)
現在は城山公園になっています。本丸跡には久松松平氏の後裔でもあるNHKアナウンサー・松平定知氏の来山記念碑や松平定知氏の従兄弟でNHKに在籍していた磯村尚徳氏の「多く苦しむもの 多く学ぶ」と彫られた石碑などが建っています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H24.3.24
住所: 愛知県知多郡阿久比町大字卯坂
関連リンク
タグ
地図
関連情報