刈谷城〔刈屋城〕(刈谷市)
水野氏ゆかりの刈谷城〔刈屋城〕
2012年04月21日
刈谷城(刈屋城)は、天文2(1533)年に水野忠政が金ヶ小路のほとりに築城しました。
忠政は刈谷築城後、本拠地を緒川から刈谷に移しました。
天正3(1575)年、水野忠政の子水野信元は、佐久間信盛の讒により武田方への内通を疑われ、信長の命を受けた家康により大樹寺で殺害されました。
その後、刈谷城は佐久間信盛の領地となりましたが、後に信盛は織田信長に追放されたため、水野信元の弟水野忠重が城主となりました。その後、水野忠重、勝成と続きましたが、元和2(1616)年、大坂の陣の功績により勝成は大和郡山に移封され、代わりに勝成の弟水野忠清が上野小幡藩から入封しました。その後水野忠清は寛永9(1632)年に三河吉田に移封されその後は松平(深溝)、松平(久松)、稲垣、阿部、本多、三浦と譜代大名が交代で城主となりました。
延享4(1747)年、土井利信が城主となり、ようやく土井氏の支配が定着し明治維新まで続きました。
明治4(1871)年の廃藩置県後、刈谷城は政府の所有となり、城郭の建造物は取り払われました。
大正2(1913)年大野介蔵に売却され、旧城跡を永久に保存することとなりました。
昭和11(1936)年、町から旧城跡を公園にしたいと意見書が出され、刈谷町に売り渡され、翌年には亀城公園となりました。
昭和16(1941)年太平洋戦争が勃発、戦争末期には城跡の高台が高射砲陣地となり、うっそうとしていた大木も切り払われ、荒れ果てた姿となってしまいました。
(現地説明板などより)
建物や石垣は残っていませんが、本丸に土塁が少しだけ残っているのと、東側の堀が池となっています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H24.3.24
住所: 愛知県刈谷市城町1丁目
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