弘川寺(河南町)
弘川寺は、山号は竜池山、真言宗醍醐派の準別格本山です。
天智天皇4(665)年、役小角によって創建されたと伝えられ、天武天皇5(676)年にはこの寺で祈雨法が修せられて天武天皇から山寺号が与えられたといわれています。
平安時代の弘仁3(812)年、空海によって中興され、文治4(1188)年には空寂が後鳥羽天皇の病気平癒を祈願しています。
文治5(1189)年には空寂を慕って歌人と知られる西行法師がこの寺を訪れ、文治6(1190)年2月16日に「願はくは 花のもとにて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」と願った歌のとおりこの寺で没しています。
南北朝時代には楠木氏の戦場となり、戦国時代には河内国守護畠山政長がこの寺を陣所とし、畠山義就がこれを攻めたため寛正4(1463)年4月15日、堂塔ことごとく兵火により焼失しました。
江戸時代に入り寛延年間(1747年~1750年)、西行法師を慕い「今西行」と呼ばれた歌僧似雲法師がこの寺を訪れ、当山に庵を結んで、西行堂を建立しています。
享保17(1733)年、似雲法師は、境内に西行法師の墳墓を発見し、墓域に草庵を結んで隠棲しました。遺言により西行の墳墓の傍らに葬られました。
境内には西行記念館があり、西行直筆といわれる掛け軸をはじめ、西行法師にまつわる数多くの資料が展示されています。
桜の名所としても知られていて、樹齢350年余の海棠(バラ科の一種:府指定の天然記念物)もあります。
また、境内の奥には、西行と似雲の墳墓や西行庵跡があり、四月には約1500本の桜で彩られています。
西行記念館の開館時間 10:00~17:00
西行記念館の開館期間 春季4/1~5/10、秋季10/10~11/20
西行記念館入館料 大人500円 小人200円(庭園拝観料を含む)
Photo Sony NEX-7
H24.4.7
住所: 大阪府南河内郡河南町弘川43
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