福本陣屋(神河町・旧神崎町)
池田氏の分家福本池田氏(松平氏)の陣屋・福本陣屋
2012年05月10日
福本陣屋は、但馬、播磨の国境の北は天領(幕府直轄地)生野銀山に接した交通の要所に寛文4(1664)年5月、池田能登守政直が福本1万石を与えられ因幡国鹿野より入部し、明治維新まで約200年間神崎郡北部の政治、経済の中心となったところです。
政直の父輝澄は池田輝政の4男で母は徳川家康の次女・督姫で、家康の外孫に当たります。慶長14(1609)年に徳川家康に謁見し、松平の姓を与えられました。輝澄は、山崎藩主として6万8千石を領していましたが、寛永17(1640)年に御家騒動により改易となり、鳥取藩主池田光仲にお預けとなって因幡国鹿野に堪忍料一万石を与えられていました。
寛文2(1662)年輝澄が没すると子の政直は神崎郡・印南郡内に1万石が与えられて大名に復し、福本に陣屋を置きました。
1万石を領して大名となった福本藩池田氏(松平氏)は、寛文5(1665)年、政直が嗣子なく没したため、その所領1万石は弟政武に7千石、弟政済に3千石に分割されました。政済は旗本となり、政武は交代寄合としてそのまま福本陣屋を居所としました。
貞享4(1687)年に政武が没すると、家督を継いだ政森は二男政親に1千石を分知したため、以後6千石の交代寄合となりました。
明治元(1668)年、池田喜通の時、高直しにより1万石を越えたため再び諸侯に列しましたが、明治3(1870)年に鳥取藩と合併し廃藩となりました。
福本陣屋の建物は小藩のため陣屋形式で現在の大歳神社境内全体が藩邸跡で社殿のところには藩主御殿があり、又神社参道の両側には家臣の屋敷約100戸が整然並び武家屋敷と町家は竹林による天然の防護柵で区切られていました。
大歳神社本殿の南側に残っている池泉回遊式庭園がかつてを偲ばせます。
大歳神社は廃藩後大正2(1913)年に福本字山根から移されたものです。
(現地説明板などより)
Photo SONY NEX-7
H24.4.21
住所: 兵庫県神崎郡神河町福本528-1
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