木舟城(高岡市・旧福岡町)
石黒氏、前田秀継の居城で天正大地震で崩壊した木舟城
2012年05月16日
木舟城は、元暦元(1184)年、石黒太郎光弘によって築かれたといわれています。
戦国時代、石黒氏がは砺波軍の有力国主に成長を遂げました。戦国時代、もっとも活躍したのが最後の城主石黒成綱です。
天正4(1576)年上杉謙信の越中侵攻の時は上杉氏に臣従しました。天正6(1578)年、上杉謙信の死去を契機に成綱は上杉家を離反して織田信長方に付きました。
天正9(1581)年、上杉方の越中国安養寺御坊(勝興寺)を焼き討ちしますが、その直後上杉景勝配下の吉江宗信によって木舟城は攻め落とされました。そして同年7月、成綱を始めとする石黒一門30人が信長に近江国佐和山城へと呼び出されたが、その意図が彼らの暗殺である事に気づいた一行は逃走を図りましたが、近江国長浜で丹羽長秀配下の兵に追いつかれ、一族郎党諸共粛清されました。
同年7月、織田方の圧力に抗し切れず宗信が木舟城から海路を使って退去し、織田方の手に落ちて佐々成政の支配下に入り、重臣佐々平左衛門が入りましたた。
天正13(1585)年8月、豊臣秀吉の北国征伐(富山の役)により成政が降伏しました。木舟城は前田氏の支配下に入り、前田利家の末弟である前田秀継が城主となって4万石を与えられました。
しかし、同年11月、天正大地震が発生し、木舟城は倒壊して秀継夫妻は多くの家臣等と共に圧死しました。
遺領は秀継の子である利秀が継いで木舟城に入りましたが、天正14(1586)年5月、利秀が今石動城に居城を移したため、木舟城は廃城となりました。
現在は曲輪の一部の土塁などが残っているのみです。しかし、駐車場もあり、見学はしやすいです。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H24.4.28
住所: 富山県高岡市福岡町木舟
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