蓮沼城(小矢部市)
遊佐氏、椎名康胤らが拠点とした蓮沼城
2012年05月18日
蓮沼城は、室町時代中頃、越中守護畠山氏の家臣である守護代遊佐氏の居城でした。
蓮沼一帯は、古くから河川交通が発達しており、また、道路が倶利伽羅峠へと通じているため、越中と加賀を結ぶ主要交通路に位置する城下町として繁栄を極め、蓮沼三千軒とも言われました。
蓮沼城の規模は、宝暦14(1764)年の書上申帳によれば・東西26間、南北36間で、周囲には幅5間の堀があったといわれています。
守護代遊佐氏は文事を好み、文明年間(1469~1486)連歌師の飯尾宗祇が越後に赴く途中、しばしば蓮沼城に立ち寄り、城主遊佐加賀守藤原長滋の館で千句の連歌を興行しました。
関白一条冬良の命を奉じて宗祇が撰集した室町時代の連歌集の代表作「新撰菟玖波集」には遊佐加賀守の連歌が収められています。
舟つなぎおく水の静けさ 旅人の静まる月に鐘鳴りて 長滋
永正・大永年間(1504~1527)の頃、城主遊佐新右衛門慶親は、埴生護国八幡宮に108段の石段を寄進しました。しかし、その後遊佐慶親は一揆に敗れて越後に亡命し砺波郡は実質的に一揆が支配したといわれています。
その後、永禄12(1569)年に上杉謙信に松倉城を追われた椎名康胤は、一向一揆に合流し蓮沼城を拠点としました。
天正4(1576)年、上杉謙信に攻められ蓮沼城は落城し、椎名康胤は戦死したといわれていますが、康胤の最期には諸説があります。
天正13(1585)年佐々成政の家臣が守備していた蓮沼城を、前田利家が攻略し、焼き払ったことが「末森記」や「越登賀三州志」などの古文書に記されています。
(説明看板などより)
現在、遺構はほとんど消滅しており、現在は蓮沼の集落内に石碑と説明看板が残るのみです。
Photo SONY NEX-7
H24.4.29
住所: 富山県小矢部市蓮沼
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