月山富田城(安来市・旧広瀬町)
富田城は、飯梨川右岸の月山(勝目山・海抜189m)を中心に築かれた複郭式の城です。城郭は、内郭、外郭から構成され、大手道のの菅谷口、搦手道の御子守口、裏手道の塩谷口と三つの入口があります。周囲は断崖絶壁が多く、中国地方における中世城郭の代表的な城跡です。
伝承によれば、保元、平治の頃平景清により築城されたと伝えられています。文治元(1185)年、承久3(1221)年の承久の乱の功により佐々木義清が出雲の守護として入城以来、塩谷、佐々木、山名、京極、尼子、毛利、堀尾の各氏が歴代城主となりました。
最も栄えたのが尼子氏の時代で、尼子経久の時期に出雲に基盤を造り上げ、嫡孫尼子晴久の代に山陰・山陽八ヶ国の守護になり中国地方の王者にふさわしい居城でした。
永禄8(1565)年には、毛利元就により攻略され落城し、毛利氏の城として福原貞俊、口羽通良、天野隆重、毛利元秋、末次元康らが城代として入城しました。
天正19(1591)年には、吉川広家が東出雲、隠岐、西伯耆12万石を与えられましたが、関ヶ原の戦いの後、岩国に移り、堀尾吉晴、忠氏父子が入城しました。
しかし、堀尾吉晴は松江城を築き、孫の堀尾忠晴が慶長16(1611)年に本拠を移したため、富田城は廃城となりました。
月山の山頂部には本丸、二の丸、三の丸、麓にも山中御殿、花ノ壇、太鼓壇、千畳平など数多くの遺構が残ります。
H12.12.9
H19.6.9
Photo Canon EOS M6
H30.5.4(写真差し替え)
関連リンク
タグ
地図
関連情報