興禅寺(犬山市)
興禅寺は、山号は妙国山、臨済宗妙心寺派の寺院です。
承安4(1174)年、梶原景時により、真言宗光善寺が創建されたのがはじまりといわれています。景時は、平忠盛の目代として尾張国府に下向赴任していました。
源頼朝の死後、景時は正治2(1200)年、北条氏との政争に敗れ、今日に向かう途中の狐崎(現在の静岡市清水区)で一族と共に非業の最期を遂げました。
景時の次男景高の子豊丸は乳母隅の方の里である羽黒へ落ちのびてきました。
豊丸は成人し梶原景親と改め、現在の興禅寺に館を構えました。
光善寺は文明11(1476)年、梶原景綱により臨済宗妙心寺派興禅寺と改めました。
17代梶原景義は羽黒3000石の領主として織田信長に仕えましたが、天正10(1582)年、信長に殉死し梶原氏は断絶しました。
慶長7(1602)年、犬山城主小笠原吉次の寄進により、梶原屋敷跡の現在地に再建され、現在に至っています。
本堂は明治26(1893)年の造営で、平成18(2006)年、国の登録文化財になっています。
庫裏は文政13(1830)年の造営で、平成15(2003)年、国登録有形文化財になっています。
半僧坊は、元禄14(1701)年の造営です。山門は正和14(1939)年の造営で、本堂と共に国登録文化財に指定されています。
墓地には梶原夫妻供養塔や梶原一族の五輪塔などがあります。なお、山内一豊の母、法秀尼は梶原氏の出身であったと伝えられています。
Photo SONY NEX-7
H24.6.23
住所: 愛知県犬山市羽黒城屋敷16
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