最勝院(弘前市)
旧大圓寺の五重塔は国の重要文化財・最勝院
2012年07月23日
最勝院は、山号は金剛山、正式には金剛山光明寺最勝院という真言宗智山派の寺院です。
この名称 の起源は、「金光明最勝王経」という仏教教典に由来し、五穀豊穣、 国家安泰等の深い願いが込められています。
本尊は金剛界大日如来、秘仏として五智如来、猫突不動明王、文殊菩薩、聖徳太子、牛頭天王、歓喜天(聖天)、青面金剛、如意輪観世音菩薩等を祀っています。
天文元(1532)年に高僧弘信上人が、堀越城外萩野の地に伽藍を造営し開基しました。
慶長14(1609)年、二代津軽藩主信枚が高岡の新城(現在の弘前城)を築いた際、当院第六世日雄が地鎮の法式を執行し、慶長16(1611)年、新城の鬼門に当たる田町へ移転し弘前八幡宮別当となり、そこに十二ヶ寺の塔頭寺院を擁していました。また、津軽藩永世祈願所に定められ、寺禄三百石を賜り、手厚い保護を受けました。
幕府からの預人慶光院と、江戸寛永寺開山の天海は、相談の上寛永3(1626)年に京都五山、鎌倉五山にならって最勝院、百澤寺、国上寺、橋雲寺、久渡寺を当地における津軽真言五山としました。
最勝院はその筆頭に位置し、領内総寺社を統轄する僧録に定められ、更には修験、座頭、巫女等を支配し、社人頭を通じて領内の社人をも支配しました。
明治3(1870)年、神仏分離令により支配下の多くの寺院を合併 して田町より当地へ移転しました。その頃までこの地には、大圓寺という真言宗の寺院がありましたが、その大圓寺は大鰐町蔵館の高伯寺と合併しそこへ移転しました。最勝院は五重塔や本堂、諸堂、境内地など旧大圓寺の総てを受け継ぎ、寺院としての発展の中で境内整備を行い現在に至っています。
五重塔は、寛文7(1667)年に完成した旧大圓寺の塔で、津軽藩第3代藩主津軽信義、4代津軽信政の寄進により藩祖津軽為信の津軽統一の際に戦死した敵味方を供養するために建立されたものです。明治41(1908)年、国の重要文化財に指定されています。(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H24.7.12
住所: 青森県弘前市大字銅屋町63
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