大和郡山城(大和郡山市)
大和郡山城は、戦国期以前から小規模な城があったが、松永久秀が滅び織田信長の下で事実上大和国の主となった筒井順慶が、天正8(1580)年にそれまで居城としていた筒井城(大和郡山市)から移り新たな城郭の建築を開始しました。
天正11(1583)年4月、天守閣が完成しました。
順慶の死後、養子の定次は伊賀上野に転封となり、天正13(1585)年豊臣秀吉の弟秀長が大和・和泉・紀伊三ヵ国100万石余の領主として郡山城に入りました。秀長は城を100万石の居城に相応しい大規模なものに拡大し、新たに七重の天守閣の建造も開始されました。秀長とその養子秀保の死後大和大納言家は断絶し、文禄4(1595)年五奉行の一人増田長盛が22万3千石の領主として入城しました。
関ヶ原後に長盛は高野山に追放となり、徳川氏の命令で郡山城の建築物は伏見城に移築されました。
城は奈良奉行所の管轄下に入り大久保長安が在番しました。大坂夏の陣では筒井定慶らが徳川家康から1万石を与えられ僅かな手勢を率いて拠っていましたが、緒戦で豊臣方の大野治房の攻撃を受けると衆寡敵せず定慶は城を棄て逃亡、落城しました。
戦後は夏の陣で大いに軍功のあった水野勝成が三河刈谷から移り、城郭の修築を行いました。その後勝成は備後福山に転封となり、以後松平家や本多家を経て享保9(1724)年に柳沢吉里が甲府城から移り、以後明治まで柳沢氏が続きました。
昭和55(1980)年、築城400年を記念して追手門(梅林門)、追手向櫓、東隅櫓、多聞櫓が復元されました。
桜の名所として、日本さくら名所100選に選定されています。平成29(2017)年4月6日、続日本100名城に選定されました。
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Photo Canon EOS M6
H30.10.27(写真差し替え)
住所: 奈良県大和郡山市城内町
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