長久手古戦場〔古戦場公園〕(長久手町)
写真は勝入塚・秀吉、家康両雄激突の古戦場
2006年03月07日

長久手古戦場〔古戦場公園〕は、イオンモール長久手やトヨタ博物館近くにあります。現在は古戦場跡が公園として整備されています。
また、公園内にある長久手町郷土資料室には長久手合戦に関する資料を展示してあります。
天正12(1584)年3月、ついに秀吉軍と家康・信雄連合軍は戦うことになり、両軍はしばらく小牧でにらみ合いました。
しかし、秀吉は、膠着状態を脱するため家康の拠点の岡崎を攻めるために三好信吉(後の豊臣秀次)を総大将に、池田恒興、元助、森長可、堀秀政らの別動隊を送りました。
しかし、その動きを察知した家康も行動を開始し、4月9日長久手で激しい戦闘が起こりました。
特に激しかったのが仏ケ根の戦いで、岩崎城を落とした池田勝入、元助、森長可らと激しく戦いました、しかし、森長可は、銃弾を頭に受けて戦死、池田勝入は永井直勝に、子の元助は安藤直次に討たれました。
池田父子の墓は、古戦場公園内にあります。
この日の戦いは、家康軍の勝利に終わりましたが、後に秀吉は信雄と和睦し、信長の後継者としての地位を確立しました。
明和8(1771)年12月、池田恒興、庄九郎父子の顕彰碑などが建てられています。
長久手古戦場は、昭和14(1939)年9月7日、武蔵塚、色金山、御旗山、城屋敷、首塚と共に国指定史跡となりました。
その後、土地形状の変更により城屋敷は昭和40(1965)年に指定解除となりましたが、昭和60(1985)年には郷土資料室の供用が開始されました。
昭和58(1983)年から昭和59(1984)年にかけては長久手勤労者野外施設新築工事により、和弓場、集会施設の整備が行われ、園路も整備されました。
平成15(2003)年には郷土資料室を含む野外活動施設を長久手町が買収し、現在は都市計画公園、駐車場として利用されています。
平成26(2014)年度には、古戦場再整備基本構想が策定され、平成29(2017)年3月、古戦場公園再整備基本計画が策定され、令和5(2023)年度にガイダンス施設建設工事への着手、令和6(2024)年度に展示制作に着手し、令和7(2025)年度中にガイダンス施設の供用開始を予定されています。
(現地説明板などより)
H12.5.4
Photo Canon EOS 5D Mark Ⅳ
R5.8.26(写真差し替え)
住所: 愛知県長久手町武蔵塚
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