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山本覚馬・新島八重生誕の地(会津若松市)

会津若松城西側にある山本覚馬・新島八重生誕の地
2013年01月09日
カテゴリ : 福島県 > 観光 > 建物・史跡
会津藩士・山本覚馬 (1828~1892) は、砲術師範で日新館教授です。
文久2(1862)年、藩主の京都守護職就任に伴い、京都に転住し、鳥羽・伏見の戦いで囚われますが、その識見を買われて、維新後に京都府顧問となり、京都の近代化に貢献しました。
明治8(1875)年、新島襄と同志社英学校 (現同志社大学)を創立しました。
覚馬の妹・八重(1845~1932)は、砲術が得意で、白虎隊員指導の一方で、戊辰戦争では自ら鶴ヶ城に籠城しました。
城明け前夜、城壁に「明日の夜は何国の誰かながむらん なれし御城に残す月かげ」とかんざしで刻みました。
明治4(1871)年、兄を頼って京都に転じ、明治9(1876)年に新島襄と結婚しました。同志社女学校(現同志社女子大学の前身)の舎監を務めました。
兄同様に、京都でキリスト教に入信しました。共に洛東・若王子の同志社墓地に眠ります。
山本覚馬・新島八重の父山本権八は、会津藩砲術師範で屋敷内には砲術の練習場があり、八重の夫、川崎尚之助も山本家に寄留していたと思われます。
隣家には白虎隊に入隊した伊東悌次郎がおり、山本家で八重にゲベール銃の撃ち方を習いました。また近所には八重の幼馴染み日向ユキ、高木時尾が住んでいて、一緒に裁縫を習っていました。
生誕地碑は、宮崎家のご支援を得て建立し、平成元(1989)年5月30日に除幕しました。
生誕地碑は実際の生家跡より東側にあります。生誕地には説明看板が立っています。
(現地説明板などより)
(地図:石碑付近)
(関連リンク:生誕地説明板付近)

H24.12.28
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H26.5.2(写真差し替え)
住所: 福島県会津若松市米代2丁目

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