高月院(豊田市)
高月院は山号は本松山、浄土宗の寺院です。
徳川氏の始祖松平家の菩提寺です。
貞治6(1367)年に松平郷主太郎左衛門在原信重の庇護を受け見誉寛立上人(足助重宗の次男重政)が創建されました。
もとの名を「寂静寺」ともいいます。
信重の娘婿、松平親氏は寛立上人に深く帰依し、本尊の阿弥陀如来をはじめ堂や塔のすべてを寄進し,松平氏の菩提寺として寺名も本松山高月院に改め、松平氏の菩提寺としました。
慶長7(1602)年、寺領100石を徳川家康より下賜され、以後幕末に至るまで厚遇されました。寺院の維持は徳川幕府によって行われました。
現在の本堂や山門は寛永18(1641)年に建立されたものです。
境内の収蔵室には市指定文化財の高月院文書、弁財天の図、野風炉など貴重な文化財が展示されています。
境内は国指定史跡「松平家遺跡」になっていますが、初代親氏、二代康親、四代親忠夫人の墓所があります。
墓塔は三基とも花崗岩製の宝篋印塔で、室町時代中期から後期のものと思われますが、いずれも一部が欠損しています。
四代親忠夫人の墓があるのは、親忠の第四子超誉存牛上人が高月院第七代住職(1575年の入山)であるため、母を祖先の陵墓の地に葬ったものと思われます。墓域は約50平方メートルあり、文政年間に11代将軍徳川家斉、明治23(1890)年に旧大和郡山藩主柳沢保申がそれぞれ修築して現在に至っています。
また、境内には家康公御手植え松がありました。当時は松平蔵人元康と称していた永禄3(1560)年に始祖の墓所に参拝した後、自ら小松を山門の下に植え、山号本松山の根本であると称したといわれています。当時の住職は九世三誉善達でした。しかし、この松は文化12(1815)年、暴風雨で倒れ、高月院では幕府に報告して指示を仰ぎ、その地に実生の小松二本を植えました。しかしこの松も昭和57(1982)年松食い虫のために枯れて刈り倒されました。現在は徳川家十八代徳川恒孝氏夫妻により植樹されています。
H12.2.19
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H25.11.1(写真差し替え)
住所: 愛知県豊田市松平町寒ケ入44
関連リンク
タグ
地図
関連情報