善龍寺(会津若松市)
戊辰戦争の悲劇を伝える「なよ竹の碑」がある善龍寺
2013年02月01日
善龍寺は山号は祥雲山、曹洞宗の寺院です。
寛永20(1643)年、曹洞一派の泉海という僧侶が会津藩祖保科正之の会津入部にともない市内花畑に建立しました。
その後寛文7(1667)年、現在の地に移りました。保科家の祖保科筑前守正則の霊を守る保科家の菩提所として発展しました。
戊辰戦争の際、本堂は焼けてしまいましたが、寛政9(1797)年に建造されたといわれる山門は戦火をまぬがれ、今もなお当時の面影を残しています。この山門は、竜宮門あるいは竜宮造と呼ばれる珍しい様式で、この地方ではほとんど例を見ない山門です。
奥にある墓地には西郷頼母夫妻の墓や西郷邸で自決した「二十一人の墓」があります。会津の人々に深く信仰されていたお寺。その境内には、会津藩家老・西郷頼母や妻・千重子、頼母の母など西郷一族21人を祀った「二十一人の墓」や会津戦争で戦死した会津藩士の遺体の埋葬に尽力した伴百悦の墓、明治期の外交官・赤羽四郎の墓など、多くの会津藩士のお墓があります。
その他、「なよ竹の碑」が有名です。家老西郷頼母の妻千重子のか弱い婦女子の心を曲がらぬ竹の節になぞらえ、会津女子の精神の強さを歌い上げた辞世の句「なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ」というから名づけられたもので、戊辰戦争終結から60年目に当たる昭和3(1928)年、「なよ竹の碑」として善龍寺に建立されました。碑の裏には戊辰戦争で散った233名の会津藩の婦人名が刻まれています。 毎年5月1日に奈与竹墓前祭がおこなわれます。
Photo SONY NEX-7
H24.12.29
住所: 福島県会津若松市北青木13−33
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