伊賀八幡宮(岡崎市)
伊賀八幡宮は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、東照大権現を祭神とする神社です。
文明2(1470)年松平氏4代親忠が松平氏の氏神として伊賀国から勧請し下井田の地に創建しました。その後、下井田を伊賀というようになりました。それから、松平家(徳川家の祖)徳川家代々の祈願所となっりました。
松平氏8代広忠は、天文4(1535)年12月織田信秀が岡崎城を攻めとろうとしたとき、八幡宮に祈願して井田ヶ原に迎え討ちました。そのとき先頭に馬に乗った武者が現われ敵陣めがけて白羽の矢を放つと八幡宮の森の上から黒雲がわき、嵐をよんで、白羽の神矢が雨のように敵陣にとびました。そしてたちまち、三万余の敵は敗退したそうです。
広忠公は、みずからその神矢を拾って、八幡宮に奉納しました。家康公も、尊敬の念きわめて厚く、出陣にはかならず祈願し。関ヶ原の戦や大坂の陣には神殿が鳴動し鳥居が移動したりするなどふしぎなことが起いました。
また、桶狭間の戦に利なく軍を引かそうとしたとき矢作川に八幡宮の神使の鹿が現われて、家康公は無事に大樹寺にはいることができました。こうして八幡宮は松平家徳川家の守護神として、尊敬をあつめていきました。
慶長16(1611)年、徳川家康の造営で規模が整い、寛永13(1636)年、徳川家光の造営で現在の社殿となりました。
極彩色の御社殿などは昭和8(1933)年に旧国宝に指定され、現在も、随神門・石橋などとともに国の重要文化財とされています。
Photo Canon EOS IXE
H12.2.19
住所: 岡崎市伊賀町東郷中86
関連リンク
タグ
地図
関連情報