伊波城(うるま市・旧石川市)
伊波城は別名伊波グスクとも呼ばれ、石川市街地を北東側に見下ろす標高87mの丘陵に位置し、東西45m、南北52mの範囲に一重の石垣をめぐらせた短郭式の城で面積は3712㎥の比較的小型のグスクといえます。
1322年に北山王となる怕尼芝・羽地(はにし)按司に滅ぼされた今帰仁城主の子孫(伊波按司)が、この地に逃れて来た後に力を付け城を築いたものとされています。1416年、尚巴志(中山)が攀安知(はんあんち)の今帰仁城攻略後、伊波按司は巴志に従いました。
城壁は自然の地形を巧みにとりこみながら石垣をS字状にくねらせ、自然石をほとんど加工せずに積み上げていく野面積という技法で作られています。
平成元(1989)年の発掘調査によって城内の地表下50cmから数回の建替をしたと思われる無数の柱穴跡が発見され、掘っ立て柱建物の存在が確認されました。また大量の地元産土器や外国産土器中国産の青磁や白磁、三彩陶器・褐釉陶器・染付・南島産の須恵器なども出土しており、伊波按司の交易の広さと力を知る事もできます。また当時の人々の食べ残した貝殻や魚や猪の骨なども出土しています。
これらの遺物は13世紀後半から15世紀のものが多く出土していますが、同時に貝塚時代の土器も多数出土しており、約2,800年前の貝塚が伊波グスクを含めたこの丘陵全体にあったことがうかがわれ、この地域が古代から人々の重要な居住地であったことを改めて教えてくれます。
昭和36(1961)年6月15日琉球政府指定の史跡となり、現在は沖縄県指定の文化財となっています。
(説明板などより)
Photo SONY NEX-7
H25.3.20
住所: 沖縄県うるま市石川伊波
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