座喜味城(読谷村)
護佐丸が築いたとされる座喜味城
2013年03月31日
座喜味城は、15世紀の初頭築城家としても名高い護佐丸によって築かれたといわれています。
護佐丸は当初、座喜味の北東約4kmにある山田グスクに居城していましたが、1416年(1422年の説もあり)中山尚巴志の北山攻略に参戦し、北山攻略後は戦後処理のため一時北山城にとどまったといわれ、その間に座喜味の地へ築城を開始したといわれています。城跡は座喜味地区北側の小高い丘、標高120m余の名護層からなる台地を石灰岩の切石積で取り囲んで築かれており、城は2つの郭からなる連郭式の形態になっています。城郭内の面積は約4,012.51㎡で、沖縄のグスクとしては中規模です。
この城には一の郭と二の郭にアーチの門がそれぞれ一つずつ造られていますが、アーチ石のかみ合う部分、門の表と裏両側にクサビ石がはめられており、他のグスク等には類例がみられません。このことから座喜味城のアーチ石門が現存するアーチの沖縄で最古のものと見られています。
座喜味城跡は昭和47(1972)年の本土復帰に伴って国の史跡に指定され翌年の10月から沖縄県ではじめて史跡整備事業が文化庁と県の補助を受けて開始されました。そして整備事業に伴う遺構発掘調査がなされ成果を上げました。
一の郭内に日本軍の高射砲陣地が築かれ、戦後も米軍のレーダー基地が建設されましたが、整備の始まった翌年返還されました。城壁の上に立つと首里・那覇をはじめ本島西側本部半島や東支那海に浮かぶ慶良間諸島・久米島・伊江島・伊平屋諸島が眺望出来る要害の地にあります。
平成12(2000)年、首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されています。(登録名称は座喜味城跡)
(説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H25.3.20
住所: 沖縄県中頭郡読谷村座喜味
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