普天満宮(宜野湾市)
普天間宮洞穴が神秘的な普天満宮
2013年04月06日

普天満宮は別称普天満権現ともいい、琉球八社(波上宮・沖宮・識名宮・普天満宮・末吉宮・八幡宮・天久宮・金武宮)の一つです。
創建については往昔、普天間の洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王の頃(1450~60年)熊野権現を合祀したと伝えられています。
現存する古い記録には「普天満権現」碑(1590年)があります。琉球神道記(1605年)、琉球国由来記(1713年)、琉球国旧記(1731年)にも当宮関係が記載されています。
琉球神道記には「當國大社七處アリ 六處ハ倭ノ熊野権現ナリ一處は八幡大菩薩也」又「普天満権現の事」については「濫觴亦知ラス、熊野ノ飛龍ト見ユ、東ニ當リテ瀑布アリ、其水霊也・・・」と、祭神のことが記されています。
普天満宮は、熊野那智(飛龍)に末吉宮を熊野新宮に、識名宮を熊野本宮に見立てて信仰されていたようです。
さらに、近世沖縄における熊野三山いわゆる権現信仰は琉球八社の内の七社はもとより、その分社、あるいはビジュアル・観音・霊石信仰とも習合しながら県内広域に伝播し、拝所としても数多くあります。
縁起伝承には首里桃原に女神が出現されて後に普天間の洞窟に篭られ、さらにその後、洞窟より仙人が現れて「我は熊野権現なり」と御神威弥高に示されました。
御神徳については中城間切安谷屋村の百姓夫婦や美里間切東恩納村の屋号「当ノ屋」に黄金(神徳)を授け苦難を救いました。「当ノ屋」ではそのお礼参りが300年余、現在まで続いています。尚、船舶の安全、大漁、五穀豊穣、交通安全、会社隆昌、商売繁盛、縁結び、安産、初宮参り、学業成就等など結びの神様(諸願成就)として当宮は参詣者も多く、特に旧暦9月は普天満参詣といい、かつては中山王はじめノロ、一般の人々が各地より参集し礼拝の誠を捧げました。
昭和19(1944)年に県社昇格の予定になっていましたが、戦時の混乱により立消えとなりました。戦前の沖縄県神社明細帳には「社格特別由緒有神社」と特記されています。
現在の社殿は戦後、県内外からの浄財により随時復興しました。参道沿いにあった宜野湾並松(昭和7年国指定天然記念物)は戦災と戦後の松食い虫の被害を受け消失しました。
洞窟内及び東洞口付近は遺跡となっており沖縄貝塚時代前期後半以後の遺物が多数発掘されています。約二万年前の琉球鹿、琉球昔キョン、イノシシの化石なども発見されています。平成3(1991)年8月1日付で、「普天間宮洞穴」は宜野湾市天然記念物に指定されています。
(説明看板などより)
洞穴は社務所で申し込めば、巫女さんが入口まで案内して頂けます。入場は無料で、写真撮影もOKでしたが、出版やネットへのアップは不可とのことです。
また、回りは米軍基地に囲まれています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H25.3.21
住所: 沖縄県宜野湾市普天間1-27-10
関連リンク
タグ
地図
関連情報