信仰の場、内金城獄と推定樹齢200年以上の首里金城の大アカギ
2013年04月11日
古い記録に登場する内金城獄(うちかなぐすくたき)は、御嶽としての起源は、大変古いと言われています。「琉球国由来記」には、茶湯崎村(ちゃなざきむら)(現松川)の項に記され、真壁大阿志母良礼(まかべのおおあむしられい)が仕えていた事がわかります。神名は、東側の大嶽がカネノ御イベまたはモジヨルキヨノ大神、西側の小獄はイベツカサ御セジと伝えられています。また、この御嶽は一般にフェーディン(拝殿)と呼ばれています。340年前、豊かな森だったこの辺りを、村人が通る度に霊気に打たれるので、これはただ事ではないと時の王府に願い出て拝所を置き、神々と王府との交流の場となりました。
9平米程の広さをやや丸く石垣で囲い、正面に直線のマグサ石をかけた石門の形になっています。
石囲いの中心には神聖とされる大木(アカギ)があり、その下に三個の石が立てられるという、沖縄独特の御嶽の形式です。
また、小嶽には年中行事の一つで、旧暦の12月8日に行われる鬼餅節(ムーチー)の由来伝説が伝えられています。
王府解体後は、個人信仰にゆだねられています。
内金城嶽境内には推定樹齢200年以上と思われるアカギ(学名:Bischofia javanica Blume)の大木が六本生育しています。樹高は約20mで、樹幹にはホウビカンジュ、ハブカズラ、シマオオタニワタリ、クワズイモ、ハマイヌビワなどが着生しています。
アカギは琉球列島、熱帯アジア、ポリネシア、オーストラリアなどに分布するトウダイグサ科の樹木ですが、このような大木群が人里に見られるのは内金城嶽境内だけです。第二次世界大戦までは首里城内及び城外周辺にもこのようなアカギの大木が生育していましたが、戦争で殆ど消失してしまいました。
60年前の沖縄戦当時は、この近辺に三つの壕があり、爆風で数名の犠牲が出たところでもあります。
首里金城の大アカギとして、昭和47(1972)年5月15日、国指定の天然記念物となっています。
内金城獄は、昭和53(1978)年11月14日、那覇市指定有形民俗文化財となっています。
(現地説明板などより)
Photo SONY NEX-7
H25.3.21
住所: 沖縄県那覇市首里金城町3丁目