龍潭(那覇市)
尚巴志が冊封使一行を接待するため造られた龍潭
2013年04月28日
龍潭は、周囲416m、面積7,675平方メートルの池で、かつて魚が多くいたことから、魚小堀(いゆぐむい)とも呼ばれていました。
1427年に尚巴志が冊封使一行を接待するため、時の国相懐機の作庭により完成したと言われています。
浚渫は、琉球王朝時代において冊封使来琉の2、3年前に御冠船接待の準備の一事業として行われたのが始まりです。
冊封使は滞在中、龍潭で行われる龍舟宴に招かれるのが慣例でした。
首里城の北方にある谷地形を利用して池を造り、池の周囲にはいろいろな花木が植えられたという記録があります。水面には首里城が映り、琉球随一の名勝地であったといわれています。首里城内にある龍樋から湧き出た清水が円鑑池を経て、さらに龍淵橋の下をくぐり抜けて龍潭に注ぐようになっています。
龍潭は過去に6回もの浚渫を行なっています。
1回目は、1604年に第2尚氏第7代尚寧王の冊封に備えて浚渫したといわれています。
2回目は、尚寧王時代に浚渫してから74年の歳月を経て、1678年第2尚氏11代尚貞王の冊封に備えて行われました。
この時は、石工延べ2,295名、夫役延べ4万4,346名をもって172日を要したといわれています。
3回目は、1754年に第2尚氏14代尚穆王の冊封に備えて行われました。
この時は、世持橋の水門を開けて水を流し浅くなった池底を掘りました。
4回目は、昭和11(1936)年に首里市(当時)及び青年奉仕隊の勤労奉仕により洗浄されました。
この時は、池の前面を覆っていた蓮、浮草等が除去されました。
5回目は、昭和17(1942)年に約1ヶ月をかけて首里市長仲吉良光の率いる市民、学生、生徒の勤労奉仕約2万人を以って浚渫を行いました。
この時は、太平洋戦争勃発以来の非常体制下であったため、養魚池として活用することが目的でした。
6回目は、平成4(1992)年11月3日の首里城公園の開園に向けて、戦後初の本格的な浚渫が行われました。なお、浚渫工事は、同年2月中旬に始まり約5ヶ月の期間を要しました。
(現地説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H25.3.22
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