小幡城(茨城町)
遺構の保存状態が良い中世城郭・小幡城
2013年08月18日
小幡城は、大掾詮幹の三男義幹が室町時代(1420年頃)に築いたという説と、小田知重の三男光重が鎌倉時代(1220年頃)に築いたという二説があります。
戦国時代の文明年間(1481年頃)以後は、水戸城の江戸氏の影響下に入りました。
現在の城域約12haが整備されたのは、元亀~天正年間(1570年代)と思われ、府中城の大掾氏を攻める拠点として重要な役割を果しています。
安土桃山時代の天正13(1585)年の書状には小幡城将として大塚弥三郎と小幡孫次郎の名が見えます。
この頃城の守りを強化する為、涸沼周辺の土豪が当番制で動員されています。天正18(1590)年12月、豊臣秀吉の権力を背景にした太田城の佐竹義宣により、水戸城の江戸氏は城を奪われ、府中城の大掾氏は滅亡し、小幡城も落城しました。
その後、小幡は慶長7(1602)年の佐竹氏の秋田移封まで佐竹義宣の直轄地となり、家臣の和田昭為が管理しています。
小幡城は天正18(1590)年の落城、或いは、佐竹氏の移封の時に、 数百年に亘る歴史的役割を終えたと考えられています。
縄張りは、本丸を二の郭から六の郭に囲まれており、七の郭は家臣などの居住地であったと考えられています。城の鎮護のため、東北の鬼門の方角には香取神社を、城内四の郭の南角には稲荷神社を祀っています。
(現地説明板より)
ほぼ、遺構が完璧に近く残っている、中世城郭です。深い堀と高い土塁、見応えがありました。
Photo SONY NEX-7
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H25.7.13
住所: 茨城県東茨城郡茨城町小幡
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