下館城(筑西市・旧下館市)
水谷氏、増山氏、井上氏、黒田氏、石川氏の居城・下館城
2013年08月25日
下館の地は、天慶3(940)年、平将門が騒乱を起した時、これを平定するため藤原秀郷(俵藤太)が築いた上館・中館・下館の三館の内の下館にあたるといわれています。
中館(伊佐城)は下館城から1.9km北方にあり、南北朝争乱の際、伊達行朝が、南朝のため籠城奮戦した史実で有名です。上館(久下田城)は同じく6.5km北方にあり、戦国時代の勇将水谷蟠龍斎政村の居城として知られています。
文明10(1478)年に水谷勝氏が本格的に築城しました。
水谷氏は、結城氏の家臣で水谷勝氏は、結城氏広から南の小田氏、東の佐竹氏に備えて父時氏の結城合戦の活躍や海老ヶ島城攻略の武勲により、下館の地を与えられました。
水谷氏は以後勝国、勝之、勝吉、治持と続いて次第に勢力を拡張し、6代蟠龍斎政村の頃は、5万石を領するに至りましたが、政村は下館を弟勝俊に譲って、自分は久下田城に移りました。
寛永16(1639)年、水谷勝隆の代になって備中成羽に移封となり、徳川頼房の長男頼重が新たに5万石の城主となりましたが、3年後には讃岐高松12万石に移封されました。
以後増山正弥、井上正岑、黒田直邦とたびたび城主が変わりましたが、享保17(1732)年、石川総茂が城主となり明治維新まで石川氏が9代137年間この地を支配しました。
なお、幕末は土方歳三など旧幕府軍脱走兵の戦いの舞台ともなりました。
慶応4(1867)年4月12日、大鳥圭介を総督に、土方歳三を参謀とする旧幕府脱走軍は、下総国府台に集結しました。
そこから大鳥本隊と分れて北上した秋月登之助&土方歳三の伝習第一大隊は北上し4月17日、宇都宮城攻撃の前に下館城を包囲、旧幕府軍への参加を要請しました。しかし、下館藩は、藩主の病気を理由に交渉に応じず、代わりに物資の提供をしました。
そして、明治には廃城となりました。
本丸跡に八幡神社が建てられています。石川総茂が石川氏の武運長久と領民の安泰を願って建立したものです。
Photo SONY NEX-7
H25.7.14
住所: 茨城県筑西市甲
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