逆井城(坂東市・旧猿島町)
逆井城跡公園として整備されている逆井城
2013年08月25日
逆井城(さかさいじょう)は逆井氏の城を逆井古城、後北条時代の城を飯沼城ともいいます。
飯沼に臨む標高20mの台地先端にあり、城の北側は飯沼が洗い、西側は入江の蓮沼に接していました。
飯沼は江戸時代の新田開発により湖水はなくなりましたが、およそ幅1㎞・南北30㎞にわたり、その名残を残しています。
戦国時代には、この飯沼が小田原の後北条氏と佐竹氏・結城氏・多賀谷氏らの領国の境目でした。
築城は享徳年間ごろといわれ、小山義政の五男・常宗がこの地を領して逆井氏を名乗り、この城を居城にしました。
しかし、常宗の孫・常繁のときの天文5(1536年)年、古河公方方であった逆井氏は後北条氏と対立し、後北条方の大道寺盛昌の攻撃を受け逆井古城は落城し、逆井氏は滅亡したと伝えられています。
その後、後北条氏は飯沼に築城をはじめ、天正5(1557)年10月、北条氏繁(玉縄城主)は、藤沢より城の建物をつくるため大鋸引の職人をよんでいます。
城主となった氏繁は、盛んに佐竹・下妻方面の動勢を報告していますが、翌天正6(1558)年にこの飯沼城中で没し、その後北条氏舜が城代となりました。
天正18(1590)年、豊臣秀吉は小田原城に後北条氏を滅し、この飯沼城も廃城となりました。
城址は逆井城跡公園として整備され、塀、主殿、二層櫓、土塀、櫓門、木橋などが復元されています。旧猿島町内に移築されていた関宿城の薬医門や、大安寺(旧岩井市)にあった観音堂が移築されています。
Photo SONY NEX-7(写真上)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ(写真下)
H25.7.14
住所: 茨城県坂東市逆井1262
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