崇福寺(岐阜市)
織田信長父子廟のある寺院・崇福寺
2006年03月27日
崇福寺は臨済宗の寺院で、山号は神護山です。
かつては、弘済寺又は大寿山崇福寺と号し、開山は一山一寧(弘済)であったという説があります。
寺伝によれば文明元(1469年)年2月、美濃守土岐成頼とその家臣斉藤長弘(利安)が建立し、明応2(1493)年に開山したといわれていますが、諸説があります。その際神護山崇福弘済禅寺と号しました。開山は独秀乾才禅師で、後には織田家菩提所、有栖川宮家祈願所となりました。
二世は仁岫宗寿、三世は快川国師でいずれも知られた名僧です。
織田信長は永禄10(1567)年8月、美濃に入ると当寺を菩提所として定めました。天正10(1582)年、本能寺の変で信長、信忠父子が本能寺で討たれると側室の小倉氏(お鍋の方)が密かに信長公の首級をこの寺に葬ったとのことです。
本堂の血天井は、織田秀信が関ヶ原の戦いの前哨戦で岐阜城に立てこもり、福島正則や池田輝政らに攻められて落城し廃城になった後、岐阜城天守の床板を譲り受け、この戦いで戦死した38名の武将を弔う為に本堂の天井板に使用したものだそうです。
寺内には、織田信長自筆の書状や、愛用の櫓時計、稲葉一鉄寄贈の梵鐘、織田信長、信忠廟所、清洲城の鯱など見どころが多い寺院です。
拝観時間
3月~10月末 9:00~17:00
11月~ 2月末 9:00~16:30
拝観料 大人150円 小人100円
※1/1・1/2・5/7・8/1・8/12・12/31及び特別の場合は拝観禁止
H10.12.17
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.4.16(写真差し替え)
住所: 岐阜県岐阜市長良福光2403-1
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