鞍掛山城(岩国市・旧玖珂町)
厳島の戦いの後、鞍掛合戦の舞台となった鞍掛山城
2014年01月03日
鞍掛山城は、標高240mの鞍掛山に築かれた城で、大内氏の奉行三家老の一人で3万石を領した杉治部太夫隆泰の居城です。
杉隆泰は、陶晴賢に党し、晴賢の謀叛により大内氏31代義隆が自刃した後は、晴賢が大内氏の当主としてたてた大内義長(大友宗麟の異母弟)に仕えました。
弘治元(1555)年10月1日、安芸国の大名毛利元就は厳島の合戦で陶晴賢を滅ぼし、防長二国に進攻してきた最初の合戦が鞍掛合戦でした。隣接する蓮華山城主椙杜隆康は、毛利氏に降伏し、鞍掛山城の杉隆泰もその報を受けると椙杜隆康同様に降伏しました。しかしこの降伏した両名は普段より仲が悪く、椙杜隆康は杉隆泰の降伏が偽りであるという証拠を元就に差し出したため、毛利軍と杉隆泰は戦うことになりました。鞍掛城主杉隆泰は、部下2,600を率い、11月9日より毛利軍7,000を迎え討ち、壮絶なる戦いを挑みましたが、多勢に無勢遂に14日(10月27日説もある)部下の将兵1,370余と共にこの鞍掛山頂の砦を枕に討死、落城しました。
城主杉隆泰、父入道宗珊(そうさん)の墓は祥運寺にあり、部下将兵は山麓に三基の千人塚として合葬されています。
(現地説明板などより)
現在は、城址はハイキングコースとして整備され、本丸には展望台、二ノ丸には城址碑があります。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H25.12.26
住所: 山口県岩国市玖珂町
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