円政寺(萩市)
高杉晋作、伊藤博文ゆかりの寺院・円政寺
2014年01月20日
円政寺は山号は月輪山、真言宗御室派の寺院です。
建長6(1254)年、大内氏の祈願寺で、今の山口市円政寺町に創建されました。
慶長9(1604)年、大内氏滅亡後、毛利公が萩へ築城と同時に移転しました。
神仏分離令にもかかわらず境内には金毘羅社があります。金比羅社の建立は不詳ですが、入口に金毘羅社に寄進された鳥居が建っており、それに延享2(1745)年と彫られている点や天保年間(1830~43)に編纂された「八江萩名所図画」に現在の社そのままの姿が描かれていることなどから、少なくともそのころには建立されていたと思われます。
また、幕末にはこの寺の恵運住職と伊藤博文公の母親(林琴子)が従兄妹に当り伊藤博文(幼名:林利輔)はこの寺に一年半預けられました。
高杉晋作がまだ幼かった頃、家人に何度もここに連れて来られこの面を見せられて物恐れをしないように躾けられたという逸話があります。
神馬は文政3(1820)年、萩市浜崎町金子音松氏が金比羅社に奉納したもので山口市大内名工、安永貞右衛門の作です。高杉晋作、伊藤博文は子供のころこの境内が遊び場所でありましたので、いつもここに来ては馬の鼻をなぜていたという話です。
また、文化12(1815)年12月11日、城下の東効香川津に住んでいた坪井甚右衛門組下の御六尺(藩主の駕籠舁き)長七の長男権蔵と三男利吉の二人が母の産後の病気平癒を祈願して、七日七夜断食して金比羅社に詣り、満願の夜丸裸で雪の中を家に帰る途中、松本川東岸の雁島付近で凍死した事件です。このことはその当時から「香川津の二孝子の美談」として語り伝えられた有名な話で、藩公の命により頌徳碑も建てられています。
(現地説明板より)
営業時間 8:00~17:00
定休日 無休
料金 大人200円、中・高生150円、小学生50円
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H25.12.28
住所: 山口県萩市南古萩町6
関連リンク
タグ
地図
関連情報