丙辰丸、庚申丸を建造した長州藩の造船所跡・恵美須ヶ鼻造船所跡
2014年01月20日
嘉永6年(1853)、ペリー来航に衝撃を受けた幕府は、諸藩の軍備・海防の強化を目的に、大船の建造を解禁し、安政元(1854)年、萩藩に対して大船の建造を要請します。次いで安政2(1855)年、幕府は伊豆戸田村で西洋式帆船の君沢型を製造しました。それを受けて安政3(1856)年1月、萩藩は洋式造船技術と運転技術を学ばせるため、船大工棟梁の尾崎小右衛門を伊豆と江戸に派遣し、4月には小畑浦の恵美須ヶ鼻に軍艦製造所を設立しました。
同年12月には最初の洋式軍艦「丙辰丸(へいしんまる)」が進水、その後さらに技術者を長崎に派遣して、オランダ人について知識を習得させ、万延元(1860)年4月には「庚申丸(こうしんまる)」を建造しました。なお、「庚申丸」建造に際しては、萩市紫福の大板山たたら(県指定史跡)の鉄が使用されました。
現在も当時の規模の大きな防波堤が残ります。(現地説明板などより)
史跡恵美須ヶ鼻造船所跡は、平成21~24年度にかけて試掘調査を実施し、その成果から、造船所跡の遺構が残されていることを確認しました。このことにより、平成25(2013)年10月17日に国指定史跡となり、平成27(2015)年7月5日には世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産一製鉄・製鋼、造船、石炭産業一」の23構成資産の一つに登録されました。
H25.12.28
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R6.12.31(写真差し替え)
住所: 山口県萩市大字椿東5159-14外